ラッキィ池田 ── Lucky Ikeda

ラッキィ池田

Lucky Ikeda

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Carrer 経歴

 伝説のカリスマ集団スネークマンショーのビデオ「楽しいテレビ」に参加した事をきっかけに、伊武雅刀、手塚眞、立花ハジメ、近田晴夫など当時サブカルチャーを代表する人たちの中で「振り付け」という仕事に新しい道を切り開いて行く。この頃から流行りだしたアーティストのプロモーションビデオのパフォーマンスが各界に注目され、桑田佳祐率いるKUWATA-BANDの全国ツアーでは南流石と共にダンサーとして参加。郷ひろみ、安全地帯等のミュージッククリップの振り付けや出演等、徐々にメジャー方面に仕事の領域を広げて行く中、自ら監督したビデオ作品が第1回東京国際ビデオビエンナーレ(1985年)で奨励賞を獲得する。

 また、関根勤というマニアックな「笑い」にどん欲な先輩との出会いから「お笑い」に「ダンス」を取り入れて行くことをはじめ、片岡鶴太郎のテレビ番組にレギュラー出演するのを皮切りに、どんどんダンスを大衆化して行く。このころから「ラッキィ池田」として露出するようになり、それがCM制作会社の目にとまり「ポカリスエット(宮沢りえ)」や「カップヌードル(アーノルド、シュワルツェネッガー)」などCMに「コマソン」の次の「ダンス」というツールを定着させるパイオニアとなる。

 自らも異色タレントとしてTV等に出演する中、CXテレビ演出家河毛俊作は「洒落男たち(木村拓哉)」「夜曲(稲垣吾郎)」「リボンの騎士(井ノ原快彦)」等の舞台でドラマチックな振り付けを希望し、新しい分野に進出させる。その流れで劇団「扉座」の横内謙介と出会い、以来ミュージカル作品や、芝居の中のダンスを多数手がける事になる。ステージングということでは、コンサートも手がけていて「ゆずドームツアー」や「由紀さおり、森山良子夢の競演ライブ」「夜会(中島みゆき)」や、多数の合唱団のステージングを彩木エリと共同で行っている。

 自由で形にとらわれない発想のダンスを生み出す事から、子供番組も多く、Eテレ「いないいないばぁ」「にほんごであそぼ」や戦隊もの、アニメの主題歌などを軒並み手がけていて子供たちに楽しくてキャッチーなダンスを多く提供している。有名な「ようかい体操第一」では作詞も担当して以来、作詞の依頼も増えている。

 振り付け以外では、ラジオ番組「永六輔その新世界」のリポーターを25年務め、様々な人たちとの出会いを経験し、よりマルチな活動を多彩なシチュエーションで行うようになる。よしもとクリエイティブエージェンシーのお笑い学校NSCの大阪、東京校の講師も勤め芸人に必要なハイテンションな動きや「リズムネタ」の開発に全力で取り組んでいる。